棘を抜く

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エロゲーが衰退した理由について。スマホの台頭に対応できなかった?

 
2016年2月現在、ゲーム本数は57本、小説は47冊。巨乳フェチ小説と巨乳フェチゲームの第一人者である。2003年、巨乳フェチゲームの嚆矢となった『MILK・ジャンキー』の生みの親の一人である。
 
2002年から都内でゲームシナリオ講座を開催(2015年2月現在で26回開催)、ゲームシナリオのハウツー本『美少女ゲームシナリオバイブル』を著している。

 

美少女ゲームシナリオバイブル

美少女ゲームシナリオバイブル

  • 作者:鏡 裕之
  • 発売日: 2009/07/01
  • メディア: 単行本
 

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特に2000年代型エロゲーは、

だらだらした(終わりなき?)日常をだらだらのまま追体験する

というスタイルだった。

そのだらだらスタイルはY世代全盛期の2000年代にはマッチしていたが、

スマホ浸透」「企業のブラック化」の中で自由時間が減少していく2010年代以降、ミスマッチ度が拡大した。
エロゲーに対するストーリー性の要求は、すでに2004年に萌芽があった。

2010年の『進撃の巨人』の大ヒットで、ストーリー性の要求は全エンターテインメント業界に広まり、強まった。

だが、だらだらスタイルを書いていた書き手がストーリー重視の作品を書くのは、技術的に非常に困難だったと思う。
ストーリー重視の作品を書くためには、

・たくさんのキャラクターを動かすこと
・展開スピードを速めること
・スピードを速めるために、無駄なだらだらを排すこと。

が必要だけど、

無駄なだらだらがありすぎると、次への流れがもっさりして展開スピードが上がらず、まったり系の作品になる。
まったり&だらだらを書いてきた書き手にとって、不要なまったり&だらだらを排除せよというのは、相当きつい命令&変化だったと思う。

2000年代型スタイルのエロゲーがだめになって2010年型スタイルへの変更が必要になった時、そのスタイル変更についていける書き手が、恐らく業界に不足していた。
なろう系や無料動画サイトなど無料コンテンツに対して、有料コンテンツは比較に晒されている。

2016年は、『君の名は。』と『シン・ゴジラ』に象徴されるように「本格感」の年だった。

2016年以降、本格感への要求が強まったのではないか、それはエロゲーの書き手にとっては厳しかったのではないか。
君の名は。』が示した映像的な本格感。『シン・ゴジラ』が示した、行政的世界の本格感。

2016年より前から、有料コンテンツは無料コンテンツと比較して選択されていたのだと思うけれど、2016年以降、その選択の際、本格感(チープでなくしっかりしているかどうか)は重要要素となったのではないか。
エロゲーに限らず、エロラノベでも、ラノベでも、選択の際に「本格感」が重要な要素(の1つ)となってきているのではないか。

そして本格感を重要な要素として押しあげたのは、無料コンテンツの浸透ではないか。

そう推測している。
ちなみに本格感(チープじゃないな、しっかりつくってあるなという感じ)を出すには、書き手側はハイコストになる。

たとえば中世&近世ファンタジーをつくるにしても、相当の量の専門書を読み込まないといけない。

専門書は値が張るので、時間的にも金銭的にも労力的にも、ハイコストになる。
こういうハイコストの作業、ハイコストのつくり方は、今のエロゲーの書き手にとってはかなり厳しいんじゃないか、かなり負担が大きいんじゃないか、とぼくは推測している。
2016年よりずっと前からだけど、エロマンガでは作画的にハイコストになったよね。

90年代のエロマンガと比べると、背景の書き込みとか全然違う。

ところでエロラノベは、肝心のエッチシーンにおいてハイコストのものになっているだろうか?

他の部分においてハイコストのものになっているだろうか?
ちなみにプレイするのに大量の時間を要求するまったり&だらだらの2000年代スタイルが、当初からだめだったとか価値がないということではない。

そのスタイルは2000年代には非常にマッチしていた。

ただ、2010年代になると、時代の変化でミスマッチの度合いが非常に大きくなってしまったということ。
Air』が1MBに到達して以来、エロゲーのテキスト量はボリュームインフレーションを迎えるのだけれど、

メーカー側がシナリオ量の多さをアピールしていくところに、「シナリオ量の多さが1つのアピールとして考えられていた」という2000年代の時代性を感じる。
「共通ルートで400KB用意したのにシナリオが短いと言われた」みたいな、

シナリオの短さやボリュームのなさに対する抗議

というのが2000年代にあった。そういう抗議が、メーカーに影響をもたらすほどあったのが、2000年代という時代だったのだと思う。
「シナリオが短いぞ!」「もっとシナリオ量を!」っていう時代性。

そういうのは2000年代にあったのだと思うけど、カルピスを水で薄めるみたいに増量して対応していったら、

「薄いカルピスいらね」「大容量テキストいや」って声が潜在的に増加。

それを拾えなくて次の時代への対応に失敗。
って推測してます。

ボリュームインフレーションが過剰にならない間は時代のニーズにマッチしていたけど、

途中(2000年代後半)から次第次第に、密かに、時代のニーズから乖離が進んでいて、それが2011年頃にど~んと来た

って推測イメージをぼくは持っています。
何年前だったか、「フルプライスのゲームは2MBで標準」みたいな感じになったと聞いて、びっくりしたことが。

個人的には

テキスト量1MB以内……書き手がまだコントロールできる範囲

2MB以上…コントロールできる書き手がめちゃ限定される

4MB以上……コントロールはほぼ不可能

って考えています。
「シナリオ大容量」=「悪」

ってわけではなくて、

無駄を排してストーリー密度を高くしてつくったシナリオ大容量は、他のものでは得がたい濃密な物語体験が得られると思っています。

大容量で、かつストーリーの密度が低くなると相当時代にミスマッチでやばくなるんだろうなあ……と。
ちなみに2002年頃、エロゲーシナリオライターのコミュでのこと。

「だらだらにも、必要なだらだらと不要なだらだらがあるよね」

って言ったら、

「いや、だらだらは必要でしょ」

って返されて、もう一度説明したけど、

「だらだらは必要でしょ」

って返されて、絶句した思い出が……。

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