エロゲーの衰退についての推論。
エロゲーは2000年代に、大量のプレイ時間を要するスタイルを確立させていた。
2011年からスマホが浸透、自由時間がスマホに削られる。
大量のプレイ時間を要する2000年代型エロゲーは
時代に合わなくなり、余暇を過ごす選択肢として選ばれなくなっていった。
— 鏡裕之@『巨乳ファンタジー』シリーズ新作お楽しみに!(@boin_master)Fri May 08 22:44:50 +0000 2020
2016年2月現在、ゲーム本数は57本、小説は47冊。巨乳フェチ小説と巨乳フェチゲームの第一人者である。2003年、巨乳フェチゲームの嚆矢となった『MILK・ジャンキー』の生みの親の一人である。2002年から都内でゲームシナリオ講座を開催(2015年2月現在で26回開催)、ゲームシナリオのハウツー本『美少女ゲームシナリオバイブル』を著している。
ストーリー重視の作品を書くためには、
・たくさんのキャラクターを動かすこと
・展開スピードを速めること
・スピードを速めるために、無駄なだらだらを排すこと。
が必要だけど、
無駄なだらだらがありすぎると、次への流れがもっさりして展開スピードが上がらず、まったり系の作品になる。
・たくさんのキャラクターを動かすこと
・展開スピードを速めること
・スピードを速めるために、無駄なだらだらを排すこと。
が必要だけど、
無駄なだらだらがありすぎると、次への流れがもっさりして展開スピードが上がらず、まったり系の作品になる。
まったり&だらだらを書いてきた書き手にとって、不要なまったり&だらだらを排除せよというのは、相当きつい命令&変化だったと思う。
2000年代型スタイルのエロゲーがだめになって2010年型スタイルへの変更が必要になった時、そのスタイル変更についていける書き手が、恐らく業界に不足していた。
2000年代型スタイルのエロゲーがだめになって2010年型スタイルへの変更が必要になった時、そのスタイル変更についていける書き手が、恐らく業界に不足していた。
ちなみに本格感(チープじゃないな、しっかりつくってあるなという感じ)を出すには、書き手側はハイコストになる。
たとえば中世&近世ファンタジーをつくるにしても、相当の量の専門書を読み込まないといけない。
専門書は値が張るので、時間的にも金銭的にも労力的にも、ハイコストになる。
たとえば中世&近世ファンタジーをつくるにしても、相当の量の専門書を読み込まないといけない。
専門書は値が張るので、時間的にも金銭的にも労力的にも、ハイコストになる。
こういうハイコストの作業、ハイコストのつくり方は、今のエロゲーの書き手にとってはかなり厳しいんじゃないか、かなり負担が大きいんじゃないか、とぼくは推測している。
ちなみにプレイするのに大量の時間を要求するまったり&だらだらの2000年代スタイルが、当初からだめだったとか価値がないということではない。
そのスタイルは2000年代には非常にマッチしていた。
ただ、2010年代になると、時代の変化でミスマッチの度合いが非常に大きくなってしまったということ。
そのスタイルは2000年代には非常にマッチしていた。
ただ、2010年代になると、時代の変化でミスマッチの度合いが非常に大きくなってしまったということ。
「共通ルートで400KB用意したのにシナリオが短いと言われた」みたいな、
シナリオの短さやボリュームのなさに対する抗議
というのが2000年代にあった。そういう抗議が、メーカーに影響をもたらすほどあったのが、2000年代という時代だったのだと思う。
シナリオの短さやボリュームのなさに対する抗議
というのが2000年代にあった。そういう抗議が、メーカーに影響をもたらすほどあったのが、2000年代という時代だったのだと思う。
「シナリオが短いぞ!」「もっとシナリオ量を!」っていう時代性。
そういうのは2000年代にあったのだと思うけど、カルピスを水で薄めるみたいに増量して対応していったら、
「薄いカルピスいらね」「大容量テキストいや」って声が潜在的に増加。
それを拾えなくて次の時代への対応に失敗。
そういうのは2000年代にあったのだと思うけど、カルピスを水で薄めるみたいに増量して対応していったら、
「薄いカルピスいらね」「大容量テキストいや」って声が潜在的に増加。
それを拾えなくて次の時代への対応に失敗。
って推測してます。
ボリュームインフレーションが過剰にならない間は時代のニーズにマッチしていたけど、
途中(2000年代後半)から次第次第に、密かに、時代のニーズから乖離が進んでいて、それが2011年頃にど~んと来た
って推測イメージをぼくは持っています。
ボリュームインフレーションが過剰にならない間は時代のニーズにマッチしていたけど、
途中(2000年代後半)から次第次第に、密かに、時代のニーズから乖離が進んでいて、それが2011年頃にど~んと来た
って推測イメージをぼくは持っています。
「シナリオ大容量」=「悪」
ってわけではなくて、
無駄を排してストーリー密度を高くしてつくったシナリオ大容量は、他のものでは得がたい濃密な物語体験が得られると思っています。
大容量で、かつストーリーの密度が低くなると相当時代にミスマッチでやばくなるんだろうなあ……と。
ってわけではなくて、
無駄を排してストーリー密度を高くしてつくったシナリオ大容量は、他のものでは得がたい濃密な物語体験が得られると思っています。
大容量で、かつストーリーの密度が低くなると相当時代にミスマッチでやばくなるんだろうなあ……と。