棘を抜く

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キリシタン大名、実は仏像や神社を破壊するなどの行為を行っていた

 

検定不合格 新しい歴史教科書

検定不合格 新しい歴史教科書

  • 作者:藤岡信勝
  • 発売日: 2020/04/28
  • メディア: 単行本
 

 

 

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まずこっち、東京書籍。多くの中学校で使用されてる教科書でしょう。僕も使った気がする。宣教師の追放について書かれた部分を読むと秀吉が当初優遇措置を取ったことは書かれてない。そしてバテレン追放令については日本は神国だからと言う理由だけ書かれている。実際の追放令も2点しか書かれていない pic.twitter.com/Ho1p92b6UU
書かれている2点は繰り返し神国だと言うことと貿易はして良いと言う点だけで、これでは秀吉が愛国者で実利だけに興味がある人間と言うことしか伝わらず、なぜ、追放したのかと言う秀吉の真意は全く伝わらない。信者がどれだけ増えたかと言うことはグラフで丁寧に描かれてる。
続いて検定不合格とされた自由社の教科書。こちらはきちんと秀吉が保護者だったことを書いている。更にバテレン追放令についてはきちんと5点書かれている。完訳フロイス日本史4のp215〜p217に書かれている追放令も5点。歴史史料をきちんと網羅している。東京書籍が抜いた3点皆さんはどう思うだろうか? pic.twitter.com/5m6Zfug7sN
まず第一にキリシタンが寺や神社を壊したことを咎めている。そして、それが日本史上初めてのことだとも言及している。実際にキリシタンが寺や神社をを破壊し、仏像を燃やしたことはルイスフロイスの日本史にも書かれている。そして、日本においては夫婦親子でも別々の宗派を信じていると言う信仰の
自由の存在についても宣教師の書簡に残されている。ところがキリシタン大名高山右近は領内にいる僧侶に対してキリシタンの話を聞かなけれ追放すると言い放っているのである。これはキリスト教を保護した信長、秀吉の態度とは大きく違う。彼らはキリシタンにはならなかった。だが、布教を許している。
これは秀吉がバテレン追放令を出したことを理解するために重要な歴史的事実ではないのだろうか?むしろ、これを書かないと何で追放したのか理解出来ない歴史的事実ではないだろうか?第二に宣教師に対する追放令。最初はこんな軽い罰しか言ってなかったのが秀吉。そして三番目に
これは自由社の要約では伝わらないので、完訳フロイス日本史4p217から引用すると「今後、商人に限らず、インドから来るいかなる人々も、神と仏の教えを妨害せぬ限り、自由に日本に来ることが出来る」と書いてある。秀吉は繰り返し、神道と仏教の教えを妨げるなと言っているのである。そして商人に
限らずとある。これは商売のことだけを考えていた訳ではないことが分かる。こんな肝心な部分を削除してバテレン追放令がなぜ出されたか理解出来るだろうか?自由社の方は更に2ページを割いて丁寧に宣教師が当時の日本人に驚いていたエピソードや日本人奴隷貿易のことまで詳しく紹介している。
ところがここまで懇切丁寧に歴史を教えようとしている自由社の教科書は検定不合格になっているのです。他の部分も丁寧に書かれているので是非購入してみて手元の中学校の歴史教科書と読み比べてみて下さい。なぜ、教科書検定がおかしいと言っているかお分かり頂けるかと思います。
あわせて是非、完訳フロイス日本史4も読んで僕の言うことに嘘がないか確かめて頂きたい。そして確かめることで確信を得て頂きたい。持つ必要のない罪の意識から自分と子孫を解放するために。これが繰り返し述べて来た日本の歴史は日本人の被虐と日本人の美徳を教えていないと言うことです。
高山右近が強制改宗させた話は完訳フロイス日本史4のp 17に書かれています。「高槻領の仏僧たちは、信長の在世中には、我らの教えを聞こうとも、それを望みもせず、ましてやキリシタンになろうと決心することはなかった。高山右近殿は彼らのところにあれこれ使者を遣わして説教を聞くようにと願い、
もし全くその気持ちがなければ、予は貴僧らを領内に留めおくわけにはいかぬと伝えた。そこで遂に彼らは説教を聞くに至り、百名以上の仏僧がキリシタンとなり、領内にあった神と仏の寺社はことごとく焼却されてしまい、そのうち利用できるものは教会に変えられた。それらの中には摂津国で高名な忍頂寺
と呼ばれる寺院があった。この寺は今では同地方でもっとも立派な教会の一つとなっている。そこでは大規模に偶像が破壊された。すなわちかの地には多数の寺院があり、仏僧らは山間部にこれら大量の悪魔の像を隠匿していたが、それらは間もなく破壊され火中に投ぜられてしまった。」
右近は悪いことだと思っていない。フロイス自身、仏像のことを悪魔の像と呼んでいるようにこれについて何も悪いことをしたと思ってないんです。そして、日本史には教会は神学生を募る為に右近の部下の子供を教会が目的を隠して見学においでと呼び寄せて、その場で神学生になるように説得したとご丁寧に
書いてある。それで1人の親が子供を連れ戻したら右近はその部下を追放して決して許さなかったと書いている。こんなことやってたら坊さんや元部下からクレーム出されて当然じゃないですかね?この他にも日本人奴隷貿易や九州での神社や寺の破壊もあった訳ですから禁教にするの当たり前だと思いません?
半澤バリの僧侶が今までの屈辱を晴らす為に倍返しだと数々の所業を秀吉に進言する姿が目に浮かびませんか?残念ながらそこはフロイスの日本史にも書いてないけど(笑)そして、宣教師も右近も追放だけで済んだのだから優しいものではないですかね?宣教師が大人しく帰ればその後の悲劇は無かったのに。
そしてこの歴史教育は皆さんが改めよと政府に働きかけなければ変わりません。戦国は信長、秀吉、家康が主権者でしたが今は僕も含めた皆さん方です。この状態を放置すれば子々孫々間違った罪悪感を植え付けられ自国に対する尊敬の念を失って行くでしょう。今までそうだったように。日本はダメだとか平気
で言う人は日本の正しい歴史を知らないから言うのです。これはほんの一例であって、きちんと調べ直せば過去に偉人がキラ星のようにいることが分かります。そうでなければ2000年以上独立を保つことなど出来ないんです。世界史上稀有なことなのにそれに気がつく歴史教育がなされてません。
最後に高山右近が追放が決定的になった秀吉との会話を完訳フロイス日本史4のp 221より引用する。「予は右近が先には高槻の者を、そして今は明石の者をキリシタンとなし寺社仏閣を破壊せしめたことを承知している。それらの所業は大いなる悪事である。よって今後とも汝の武将としての身分に留まり
たければ、ただちにキリシタンたることを断念せよ。」

「私が殿を侮辱したことは全くなく、高槻の家来や明石の家臣たちをキリシタンにしたのは私の手柄である。キリシタンをやめることに関しては、たとえ全世界を与えられようとも致さぬし、自分の霊魂の救済と引き替えることはしない。
よって私の身柄、俸禄、領地については、殿が気に召すように取り計らわれたい。」

秀吉がどう思ったか分かりませんか?なぜ、禁教にしたのか分かりますよね?
長くなったので続きは別スレにてお楽しみください。まだまだ、びっくりするようなエピソードを残してます。しばらくこの件についてスレを分けながらお話しします。
次スレではなぜ右近やキリシタンが寺社や仏像を平気で破壊して反省もしてないのか?と言う根本的な疑問にお答えします。ここが分からないと当時のキリシタンのことは分からないしキリスト教の歴史も分かりません。

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