キリシタン大名、実は仏像や神社を破壊するなどの行為を行っていた
秀吉が日本人奴隷に激怒した話大変多くの方から知らなかったと言う話を頂き、秀吉はキリシタン大名が強制改宗をし、キリシタンが寺や神社を破壊したことを怒ったと言う話まで固定ツイでしたけれど、それをなぜ多くの日本人が知らないのか明らかにする為に今の中学校の歴史教科書を2冊手に入れました。
— natural セカンド(@tomonotameni1)Sun Aug 23 12:50:02 +0000 2020
まずこっち、東京書籍。多くの中学校で使用されてる教科書でしょう。僕も使った気がする。宣教師の追放について書かれた部分を読むと秀吉が当初優遇措置を取ったことは書かれてない。そしてバテレン追放令については日本は神国だからと言う理由だけ書かれている。実際の追放令も2点しか書かれていない pic.twitter.com/Ho1p92b6UU
書かれている2点は繰り返し神国だと言うことと貿易はして良いと言う点だけで、これでは秀吉が愛国者で実利だけに興味がある人間と言うことしか伝わらず、なぜ、追放したのかと言う秀吉の真意は全く伝わらない。信者がどれだけ増えたかと言うことはグラフで丁寧に描かれてる。
続いて検定不合格とされた自由社の教科書。こちらはきちんと秀吉が保護者だったことを書いている。更にバテレン追放令についてはきちんと5点書かれている。完訳フロイス日本史4のp215〜p217に書かれている追放令も5点。歴史史料をきちんと網羅している。東京書籍が抜いた3点皆さんはどう思うだろうか? pic.twitter.com/5m6Zfug7sN
これは秀吉がバテレン追放令を出したことを理解するために重要な歴史的事実ではないのだろうか?むしろ、これを書かないと何で追放したのか理解出来ない歴史的事実ではないだろうか?第二に宣教師に対する追放令。最初はこんな軽い罰しか言ってなかったのが秀吉。そして三番目に
あわせて是非、完訳フロイス日本史4も読んで僕の言うことに嘘がないか確かめて頂きたい。そして確かめることで確信を得て頂きたい。持つ必要のない罪の意識から自分と子孫を解放するために。これが繰り返し述べて来た日本の歴史は日本人の被虐と日本人の美徳を教えていないと言うことです。
と呼ばれる寺院があった。この寺は今では同地方でもっとも立派な教会の一つとなっている。そこでは大規模に偶像が破壊された。すなわちかの地には多数の寺院があり、仏僧らは山間部にこれら大量の悪魔の像を隠匿していたが、それらは間もなく破壊され火中に投ぜられてしまった。」
右近は悪いことだと思っていない。フロイス自身、仏像のことを悪魔の像と呼んでいるようにこれについて何も悪いことをしたと思ってないんです。そして、日本史には教会は神学生を募る為に右近の部下の子供を教会が目的を隠して見学においでと呼び寄せて、その場で神学生になるように説得したとご丁寧に
書いてある。それで1人の親が子供を連れ戻したら右近はその部下を追放して決して許さなかったと書いている。こんなことやってたら坊さんや元部下からクレーム出されて当然じゃないですかね?この他にも日本人奴隷貿易や九州での神社や寺の破壊もあった訳ですから禁教にするの当たり前だと思いません?
半澤バリの僧侶が今までの屈辱を晴らす為に倍返しだと数々の所業を秀吉に進言する姿が目に浮かびませんか?残念ながらそこはフロイスの日本史にも書いてないけど(笑)そして、宣教師も右近も追放だけで済んだのだから優しいものではないですかね?宣教師が大人しく帰ればその後の悲劇は無かったのに。
そしてこの歴史教育は皆さんが改めよと政府に働きかけなければ変わりません。戦国は信長、秀吉、家康が主権者でしたが今は僕も含めた皆さん方です。この状態を放置すれば子々孫々間違った罪悪感を植え付けられ自国に対する尊敬の念を失って行くでしょう。今までそうだったように。日本はダメだとか平気
で言う人は日本の正しい歴史を知らないから言うのです。これはほんの一例であって、きちんと調べ直せば過去に偉人がキラ星のようにいることが分かります。そうでなければ2000年以上独立を保つことなど出来ないんです。世界史上稀有なことなのにそれに気がつく歴史教育がなされてません。
よって私の身柄、俸禄、領地については、殿が気に召すように取り計らわれたい。」
秀吉がどう思ったか分かりませんか?なぜ、禁教にしたのか分かりますよね?
秀吉がどう思ったか分かりませんか?なぜ、禁教にしたのか分かりますよね?
長くなったので続きは別スレにてお楽しみください。まだまだ、びっくりするようなエピソードを残してます。しばらくこの件についてスレを分けながらお話しします。